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龍虎城跡

龍虎城跡

龍虎城は財部六郎正信によって築城されました。
城は、12の砦から成り、その形はあたかも虎が伏し、龍がひるがえっている姿に似ていることから龍虎城と命名されたといわれています。
ほかに、財部城とも北俣城とも呼ばれています。

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城内は本丸・二ノ丸・財部城・飯地・池ノ上・小城・桜城・中丸・外城・野頸・松尾・和田尾の12の郭から成り、要塞堅固な城でありました。
面積は8ヘクタールで、本丸は現在の忠霊塔のある台地に、中丸は正面入口の階段を登った頂上に築かれていました。
財部六郎正信の後は、猪俣新左衛門、新納近江守忠続、北郷讃岐守忠相等が領しました。

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庄内の乱(慶長4~5年)の際は、伊集院忠棟入道幸侃の甥である伊集院甚吉が守将となりました。
城は島津勢の攻撃にも落城せず、最後まで抵抗しました。
龍虎城の降伏をもって庄内の乱は終わりました。
元和元年(1615)の一国一城の令により廃城となりましたが、現在も山城として原型をとどめており、財部のシンボルとなっています。

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