柳井谷石塔群および阿弥陀三尊板碑
柳井谷には鎌倉期から南北朝期の34基の五輪塔と残欠があります。
元々、山の中腹にあったといいますが、正徳2(1712)年に移設したものと考えられています。その後、大樹に囲まれ倒壊の恐れがあったので昭和後期に隣の町有地(当時は大隅町)に移設しました。
前列3基は水輪に納骨孔がある他、中・後列にも納骨塔が14基あります。
前列中央の大きな五輪塔は平家に仕えた勇猛な武将で、この平景清の墓と伝えられています。水輪には削られた跡があります。この石を粉にして飲むと眼病に効くとして、さかんに削られたようです。
これは景清を目の神様として信仰した名残で、民俗学的にも価値を有しています。
しかし、平景清の墓というのは伝説で、実際は南北朝期に岩川一帯を支配した肥後氏一族の岩川氏の石塔と考えられます。
高さ148センチメートル。
石塔群の入口付近にある阿弥陀三尊は、小字石仏窪から移設したものです。
阿弥陀三尊とは阿弥陀如来が観世音と勢至の両菩薩を脇侍としているもので、梵字(キリーク・サ・サク)が刻まれています。高さ75センチメートル・幅35センチメートル。
同時移設の凝灰岩製の小仏は蓮台を横線で表しています。高さ36センチメートル。