岩川官軍墓地
明治10年(1877)、2月、旧薩摩藩の士族を中心とした反政府暴動が起きました。
いわゆる西南戦争(西南の役)です。
この戦いは同年9月24日に西郷隆盛が自刃するまでの間、九州の中部・南部を舞台として展開しました。
市内でも同年6月末から7月24日都城が陥落するまでの間、数々の激しい戦いが繰り広げられています。
弥五郎伝説の里近くにある官軍墓地は、西南戦争で亡くなった官軍(政府軍)の戦死者を埋葬した墓地です。
全部で80基程ありますが、埋葬者の出身地は全国に渡っています。
墓石には戦死の場所月日が刻まれています。
その中でも7月8月が最も多く、百引村(現鹿屋市輝北町)で半数以上が戦死しています。
同月11~12日は大崎方面で戦死した者が多く、同月23日には岩川方面(笠木の鍋)でも5人戦死しています。
当時。大崎や百引から死体を運び、墓地手前で仮火葬した後、現在地へ埋葬したといわれています。
現在、県内に残る官軍墓地は、当市と鹿児島市の2ヵ所ですが、昔ながらの形を残しているのはここだけです。
なお、末吉町岩崎の方には薩軍の墓(市指定)が残っています。