2021年04月13日
龍虎城は財部六郎正信によって築城されました。 城は、12の砦から成り、その形はあたかも虎が伏し、龍がひるがえっている姿に似ていることから龍虎城と命名されたといわれています。 ほかに、財部城とも北俣城とも呼ばれています。 …
2021年04月13日
龍虎城は財部六郎正信によって築城されました。 城は、12の砦から成り、その形はあたかも虎が伏し、龍がひるがえっている姿に似ていることから龍虎城と命名されたといわれています。 ほかに、財部城とも北俣城とも呼ばれています。 …
2021年04月13日
城山公園となっている龍虎城跡から日光神社へ向かう通りにあります。 ここは日光神線と呼ばれていますが、大正末期、在郷軍人と日光地区の人々が山桜を植樹し、桜並木となり今に残されています。 約1キロメートルに渡り100本ほどの …
2021年04月13日
奴踊りの起源ははっきりとしていませんが、中谷では溝ノ口洞穴の岩穴祭り(お釈迦様の誕生日の毎年4月8日に近い日曜日)に踊られています。 踊り手・太鼓・三味線・拍子木・唄い手から構成され、踊り手は、鼻筋を真っ白に塗り、頭にハ …
2021年04月13日
元々俵踊りは、江戸時代に農家二歳衆の身心強化、団結、親和を図るとともに、農作を神に奉納したことから始まったといいます。 財部町川内の俵踊りは、昭和22年に川内集落の有志が青年たちに呼びかけ踊らせたことに始まります。 現在 …
2021年04月13日
太鼓踊りは、元禄元年(1688)に、朝鮮出兵における島津義弘軍が明の大軍に突進していった有様をしのんでつくられたともいい伝えられています。 財部町においては、200年前から踊られていたといわれています。 以前は、南俣・北 …
2021年04月08日
元々は金丸にありましたが、今別府の諏訪どんに移り、その後、現在地に移転しました。 大正時代には、須賀の大山神社のところへ宿借りをしていたこともあったが、再び現在地に戻ってきました。 大正末期ごろまでは、片蓋集落から狂言を …
2021年04月08日
最初、金丸にあり、その後、浦興禅寺に移り、昭和3年3月現地へ移転しました。 境内には、馬蹄観音を祀る社と他の神様があります。 室町時代後期、財部の金丸にいた快成和尚が、紀州熊野から熊野権現を勧請したと言います。 快成は紀 …
2021年04月08日
両御祭神は、伊邪那美命が火の神ヒノカガビコ(別名;ヒノカグツチ)をお生みになり、火傷をした痛みの中で吐いたものから生まれた神です。 金峯神社敷地内にある大岩は、蛇王権限と言い、大蛇の霊が祭ってあります。 この大岩を自分の …
2021年04月07日
七村にあります。速玉男命(はやたまのおのみこと)とは、伊邪那岐命が黄泉国(よもつくに)の伊邪那美命を連れ戻しに行った際、見ないで欲しいと言われたその姿を見てしまい、離縁することとなりました。その約束を固めるために吐いた唾 …
2021年04月07日
財部三社の一つ。一説には宇佐八幡を勧請したと言われています。 澤田神社は、霧島山四門のうち南門とされる。7つの面(市指定文化財)が残っており、現在、財部郷土館にて展示。 このうち宝徳3年(1451)の面は、島津9代忠国が …