肝付竹友の墓 2021年04月13日公開 2021年04月13日更新 文化財末吉 元亀4年(1573)正月6日、肝付軍と北郷軍が国合原(くにあいばる/住吉原)で合戦を行いました。 北郷時久は、都城・財部・末吉の兵を率いて稲井原(いないばる/二ノ方荷原)から攻撃しました。 その後、志和地・山田・野々美谷・梅北の兵達も馳せ参じ、四方から包囲攻撃し、肝付軍は大敗しました。 この戦いで、志布志地頭の肝付三河守竹友は、血が谷(松山町豊留付近)と呼ばれる場所で討死しました。 江戸時代初期には竹友の多層塔が建てられ、この辺りは竹友原と呼ばれています。 スポット概要