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文化財

住吉神社の短冊

2021年04月13日

住吉神社には、116枚もの奉納短冊が残されています。 慶長5年(1600)の庄内の乱終結後の島津龍伯・忠恒や島津家臣達の和歌、末吉郷初代地頭村田寿仙の和歌、島津斉宣や蓮亭院(斉宣の妻)の和歌があり、島津家がいかに住吉神社 …

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末吉衆中引付写

2021年04月13日

末吉衆中であった迫田家に残されていたもので、末吉外城の建設に伴い、各地から衆中が集められたことを記したものです。 この文書は末吉移住第一世で、根元帳(市指定)は第二世の記録となっています。 現在、末吉歴史民俗資料館にて展 …

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末吉根元帳

2021年04月13日

末吉衆中であった上原家に残されていた文書で、慶安3(1650)年に記されています。 これは、末吉郷建設の経緯を知ることができる貴重な資料です。 根元帳によると、末吉へ移り住んだ衆中は284人で、慶長4(1599)年から同 …

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末吉郷士高帳写

2021年04月13日

末吉郷は、庄内の乱後に島津直轄地となり、外城の建設に伴い、新しく各地から衆中(後に郷士という)が集められました。 その経緯が記された文書の一つが「末吉郷士高帳」です。 現在残っているのは安政5(1858)年の写しですが、 …

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上別府家の鎧

2021年04月13日

末吉衆中であった上別府家に伝わる鎧は、寛文年間(1661~1672)の頃といわれ、「畳具足」という形式に属します。 畳具足とは、折りたたみが自在のもので、鉄板小片を鎖でつなぎ、同じく兜も、提灯のように縮小できるようになっ …

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橋野六地蔵塔

2021年04月13日

曽於市消防団橋野分団詰所の隣に、延宝5(1677)年に建立された六地蔵塔があります。 一部補修はあるものの、ほぼ原形を残しています。 高さは2.65mで、「奉建立六地蔵尊一基」「延宝五年丁己仲春」「為現世安穏後生善処」等 …

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住吉神社本殿

2021年04月13日

住吉山の中腹に鎮座する住吉神社は島津氏の尊崇篤く、藩庁直轄の神社に列していました。 祭神は、底筒之男命・中筒之男命・表筒之男命のいわゆる住吉三神です。 現在の本殿は切妻造、平入り、前の屋根が曲線形に長くのびて向拝となって …

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住吉神社の流鏑馬

2021年04月13日

  流鏑馬の由来は、上古、騎射と呼ばれており、鎌倉時代に武芸として盛んに行われ、後に儀式化して祭礼の奉納神事となっていきます。 末吉の流鏑馬について、起源は不明であるが、薩摩藩が江戸時代後期に編纂した『三国名勝図会』に記 …

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光明寺の仁王像

2021年04月13日

熊野神社の参道に建っており、室町時代の製作といわれてます。 かなり大きい彫刻で、阿形・吽形ともほぼ完全に残っています。 明治初年までは、この近くに光明寺があり、その寺の仁王像でした。 光明寺は真言宗で、本尊は阿弥陀如来で …

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興昌寺の仁王像

2021年04月13日

元々、興昌寺の門前にあった仁王像で、宝暦9(1759)年に建立されたものです。 明治初年の廃仏毀釈で壊されて埋めてあったものを掘り出して復元しています。 「施主 実円 伊地知万左衛門」「宝暦九年六月廿四日」の刻字がありま …

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