2021年04月08日
元々の祭神は、伊邪那岐命・伊邪那美命らであるが、明治40年代の神社 合祀の時に、上津片加男(うわつかたがお)神社・中津真津男(なかつまつお) 神社・下津片加男(しもつかたがお)神社・眞木男(まきお)神社等の神社の 神々が …
2021年04月08日
元々の祭神は、伊邪那岐命・伊邪那美命らであるが、明治40年代の神社 合祀の時に、上津片加男(うわつかたがお)神社・中津真津男(なかつまつお) 神社・下津片加男(しもつかたがお)神社・眞木男(まきお)神社等の神社の 神々が …
2021年04月08日
「日天子」という神社のとおり、太陽神、皇祖神、高天原の主神、日本の総氏神と 称えられる天照大御神を主祭神とする神社です。 須田木地区青少年館(旧須田木小学校)の敷地内にあります。 往古、牛根村高野口に鎮座していた神社で、 …
2021年04月08日
寛政元年、末吉牧を再設置した際、志布志烏帽子野の笠祇大明神から勧請したものです。 明治時代初期、この神社の御神体を廻って諏訪方の住人 と騒動となり、大津十七が仲裁したという話も残ります。 なお、本殿が老朽化して いたため …
2021年04月08日
元々飛佐の宮田に会った神社で、天正19年(1591)に坂元愛甲坊へ移転し、その後宮岡に移転、昭和38年に現在地(大隅北地区公民館近く)へ移転しています。 祭神は蛭子命。寛文13年(1673)の妻板も残っています。 ヒルコ …
2021年04月08日
古くは太田大明神とも言います。太田尾から移転(現地に標柱有り)されました。 志布志安楽の山宮神社と関係が深いと言います。 崇神(すじん)天皇の時代、疫病が流行し多くの民が死んだとき、天皇の夢に大物主神が現われて、疫病は自 …
2021年04月08日
万寿2年山城国石清水八幡宮より勧請。 当時は、中之内川﨑(元八幡)に鎮座していたが、祭祀不便のため大正3年(1914)に現地(岩川小学校隣)へ移転しました。 当社では、鹿児島県指定無形民俗文化財に指定されており、かつ県下 …
2021年04月08日
元々は金丸にありましたが、今別府の諏訪どんに移り、その後、現在地に移転しました。 大正時代には、須賀の大山神社のところへ宿借りをしていたこともあったが、再び現在地に戻ってきました。 大正末期ごろまでは、片蓋集落から狂言を …
2021年04月08日
最初、金丸にあり、その後、浦興禅寺に移り、昭和3年3月現地へ移転しました。 境内には、馬蹄観音を祀る社と他の神様があります。 室町時代後期、財部の金丸にいた快成和尚が、紀州熊野から熊野権現を勧請したと言います。 快成は紀 …
2021年04月08日
両御祭神は、伊邪那美命が火の神ヒノカガビコ(別名;ヒノカグツチ)をお生みになり、火傷をした痛みの中で吐いたものから生まれた神です。 金峯神社敷地内にある大岩は、蛇王権限と言い、大蛇の霊が祭ってあります。 この大岩を自分の …
2021年04月07日
七村にあります。速玉男命(はやたまのおのみこと)とは、伊邪那岐命が黄泉国(よもつくに)の伊邪那美命を連れ戻しに行った際、見ないで欲しいと言われたその姿を見てしまい、離縁することとなりました。その約束を固めるために吐いた唾 …