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西原段2遺跡出土の岩偶

2021年04月13日

岩偶は、平成9年度県営特殊農地保全整備事業(折田・梶ヶ野地区)に伴う発掘調査で、西原段2遺跡の土坑(穴状遺構)内から出土しました。 この岩偶は縄文晩期前半頃(約3,500年前)と推定され、縦5.8センチメートル、横3.2 …

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鳴神遺跡出土の埋納石斧

2021年04月13日

大隅町の鳴神遺跡は、八合原鳴神一帯に分布する遺跡です。 平成4~7年に、土地区画整備事業に伴う埋蔵文化財の発掘調査が実施されました。 平成4年9月上旬、縄文晩期末頃の集落跡の発掘調査中に、埋納された石斧22点〔打製石斧6 …

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恒吉大谷村御検地竿次帳写

2021年04月13日

文政12(1829)年9月、30門あった大谷村の門ごとに構成員の名頭や名子全員と牛馬頭数を記し、耕地は各筆ごとに面積・等級・付籾(査定収穫量)の公租資料と小物成(雑税)対象の桑・茶・柿・柴竹などを記して1冊にまとめており …

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野町そば切り踊り

2021年04月13日

大隅町恒吉の野町地区には、そば切り踊りが伝わっています。 7~8人で歌いながら、そば切りを作るしぐさを行います。 格好は、かすりの着物、たすき、白の前掛け、赤の腰巻姿で、楽器は三味線と太鼓を使います。 踊りは労働作業の踊 …

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別府の板碑

2021年04月13日

大隅町岩川別府の丘にあり、ここは山城跡の一角にもあたります。 板碑(写真左)の上部には月輪の中に梵字(カ)で地蔵が刻字され、周囲に九仏が梵字で配されています。 軽石製で高さ88センチメートルです。 造立年は不明ですが、供 …

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田之神像(入角)

2021年04月13日

入角集落内の前川沿いの舌状台地の上にあります。 明和2年(1765)3月の銘があり、「中之内村入角 内之牧長左衛門」とあります。 右手にメシゲ、左に椀を持ち腰掛けた姿です。 現在、市内には120体以上の田の神が確認されて …

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若松石見守の墓

2021年04月13日

慶長4(1599)年、都城城主伊集院忠眞が島津家に反乱を起こした、いわゆる庄内の乱の時、槻野(月野)城は島津方で、若松石見守宗右衛門が城主でした。 槻野城は、7月14日に伊集院軍から急襲を受け、若松石見守は戦死しました。 …

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六地蔵塔(川路山)

2021年04月13日

大隅町須田木川路山の六地蔵塔は、元禄15年(1702)のもので、幢身の正面に「奉造竜喜神」、左面に「元禄十五年十一月八日」、裏面に「□山市王」(□は霧か)と刻まれています。 廃仏毀釈の影響か、地蔵の顔面は削られています。 …

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宮ヶ原千人塚

2021年04月13日

現在、投谷八幡宮の入り口付近に、二つの千人塚が残っていますが、これは宮ケ原の戦いの戦死者を祀ったものといいます。 肝付氏と島津氏の抗争は長く続きましたが、永禄元年(1558)3月19日、高山城主肝付兼続と都城城主の北郷時 …

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寺山地頭の墓

2021年04月13日

慶長4(1599)年の庄内の乱で、恒吉城は島津方によって落城しました。 その後、恒吉郷が設置され、初代地頭に寺山四郎左衛門久兼入道常雲(1567-1611)が任命されました。 久兼は、島津氏の九州北伐や朝鮮の役等、各地で …

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