2021年04月13日
末吉町諏訪方の入佐集落から少し離れたところに位置し、昭和38年の道路建設の際に発見された縄文晩期の住居跡です。 住居跡は、深さ70センチメートル掘り込んであり、中心に炉が設けられ、ここから土器片や木炭が検出されています。 …
2021年04月13日
末吉町諏訪方の入佐集落から少し離れたところに位置し、昭和38年の道路建設の際に発見された縄文晩期の住居跡です。 住居跡は、深さ70センチメートル掘り込んであり、中心に炉が設けられ、ここから土器片や木炭が検出されています。 …
2021年04月13日
経塚は平安時代から造られ、末法の世に経文が無くならないように経筒に入れて埋置したのが始まりとされています。 鎌倉・室町以降は変遷し、現世来世の安寧や供養を目的とするようになり、経文も経筒から小石や貝殻に墨字して埋納するよ …
2021年04月13日
有馬厚軒は、文久4年(1821)10月5日、有馬道憲の二男として荷原で生まれました。 医者である父より医学や漢学を学び、その後、鹿児島の造士館や、京都へ遊学し、諸学問を修めました。 厚軒は、医師を務める傍ら、鹿児島造士館 …
2021年04月13日
末吉町深川の前川内集落に伝わる太鼓踊りです。 前川内でいつ頃から踊られるようになったかは不明ですが、島津義弘の朝鮮出兵の際に、大勝したのを記念して、士風をつくり戦勝を祝福するために考案されたともいわれています。 踊りは、 …
2021年04月13日
住吉神社には、116枚もの奉納短冊が残されています。 慶長5年(1600)の庄内の乱終結後の島津龍伯・忠恒や島津家臣達の和歌、末吉郷初代地頭村田寿仙の和歌、島津斉宣や蓮亭院(斉宣の妻)の和歌があり、島津家がいかに住吉神社 …
2021年04月13日
末吉衆中であった迫田家に残されていたもので、末吉外城の建設に伴い、各地から衆中が集められたことを記したものです。 この文書は末吉移住第一世で、根元帳(市指定)は第二世の記録となっています。 現在、末吉歴史民俗資料館にて展 …
2021年04月13日
末吉衆中であった上原家に残されていた文書で、慶安3(1650)年に記されています。 これは、末吉郷建設の経緯を知ることができる貴重な資料です。 根元帳によると、末吉へ移り住んだ衆中は284人で、慶長4(1599)年から同 …
2021年04月13日
末吉郷は、庄内の乱後に島津直轄地となり、外城の建設に伴い、新しく各地から衆中(後に郷士という)が集められました。 その経緯が記された文書の一つが「末吉郷士高帳」です。 現在残っているのは安政5(1858)年の写しですが、 …
2021年04月13日
末吉衆中であった上別府家に伝わる鎧は、寛文年間(1661~1672)の頃といわれ、「畳具足」という形式に属します。 畳具足とは、折りたたみが自在のもので、鉄板小片を鎖でつなぎ、同じく兜も、提灯のように縮小できるようになっ …
2021年04月13日
曽於市消防団橋野分団詰所の隣に、延宝5(1677)年に建立された六地蔵塔があります。 一部補修はあるものの、ほぼ原形を残しています。 高さは2.65mで、「奉建立六地蔵尊一基」「延宝五年丁己仲春」「為現世安穏後生善処」等 …